音響技術に関わる世界中の技術者にとって夢であった木のユニットを持つスピーカーを、ビクターは20余年の歳月をかけて完成させました。
オリジナルマスターテープの音の再現を目指す「原音探求」への思いが結実したその「ウッドコーンスピーカー」について、開発に携わったAVシステムカテゴリー技術部 今村 智にインタビューしました。
(このインタビューは2008年2月に行ったものです。)
空気を振動させて人に音を伝える「振動板」というパーツがあります。スピーカーユニットのなかで音を発する部分なのですが、「ウッドコーンスピーカー」は、世界で初めてこの振動板に木を使いました。木製の振動板は、音が伝わるのが速く、余分な振動を吸収するなど、それまで一般的だった紙やプラスチック、ガラス繊維などの素材にはない素晴らしい特性があります。また、「ウッドコーンスピーカー」は木材のなかで最も振動板の素材に適した樺(カバ)を使っているため、その特性が理想値に近く、まさにすぐそこで生演奏を聴いているかのような「ウッドコーンスピーカー」ならではの美しい響きをもたらしてくれるのです。
まず、振動板から発した音の響きが徐々に消えていく際の「減衰特性」があげられます。樺は、にごりのない澄んだ音が響きながらほどよい時間で消えていく性質を持っています。音があまり長く響くとピアニシモなどの繊細な表現が聴き取れなくなるため、振動板には適度な長さの音の響きが大切なのです。また、樺は振動板物性値の2大要素である「音の伝搬速度」と「内部損失」のバランスでも他の木材の数値を上回っています。両立が難しかったこの2つの特性を最も理想に近い水準で備えた素材が樺なのです。伝搬速度は音の速さを示しますが、この数値が高いほど音の立ち上がりがよくなり、弦のこすれる細かな音まで再現できます。内部損失の高さは音の響きにくさを示していて、振動を吸収して残響を抑えにごりのないきれいな音を伝えます。樺が持つ3番目の強みは、木目がもたらす自然素材ならではの「異方性の伝搬性」から生まれます。そのため音の伝わり方が異なり、材質が均一な素材で発生していた共振を防いで質感のあるなめらかな音を届けることができるのです。
もともとビクターのスピーカー開発には、「スピーカーは、楽器でありたい」という発想がありました。バイオリンやギターなど音が美しい楽器は、いい木を使っています。それなら、いい木を使えば美しく心地よい音を響かせるスピーカーができるはずだと考えていたのです。実は、ビクターは「ウッドコーンスピーカー」の開発を20年以上前に行っていますが、一度あきらめかけました。木を薄い扇状のシートにして張り合わせた当時の試作品が残されていますが、湿気などが原因で大きく変形しています。当時は、素材としての木の素晴らしさは分かっていても、コーン状に加工する技術が開発できなかったのです。そして、私たちにとっての最大の難関もそこにありました。
振動板を作る際は薄い木のシートをプレス成形機でプレスするのですが、高温でプレスすると水分が蒸発してひび割れが起きてしまいます。それを防ぐ方法を見つけるのが最も大変でした。木をお湯に浸けたり化成ソーダをはじめとして、さまざまな実験を繰り返しましたが、どんな方法も、ひび割れを防ぐことはできませんでした。
万策尽き果てて研究所から帰る車中で、先輩に「なじみのスナックで出てきたスルメは、ひと晩日本酒に浸けられていて、焼くとゴムのように伸びたんだよ」と話してみたのが解決のきっかけになりました。とにかく、どんなやり方でも試してみようということで、薄い木のシートを一晩、日本酒に浸けてみました。すると、格段にやわらかくなってプレスしてもひび割れが起きなかったのです。日本酒の成分を分析してみると、ぶどう糖やグリセリン、などの成分に保水力があり、これらが水分を握るようにして保ってくれるために、ひび割れが起きないことが分かりました。
素材のよさを活かすためには、上手に料理しなければなりません。それはスピーカーも同じで、樺の木を使った振動板のポテンシャルを本当に活かすためには、さまざまな工夫が求められます。
「ウッドコーンスピーカー」を組み合わせたコンパクトコンポーネントDVDシステム「EX-A3」では、低音域を出すために磁気回路部のマグネットにネオジウムを採用し、アルミショートリングを組み合わせて中低音のひずみを抑えています。また、キャビネットの材質も改めて見直しました。比重や密度などがそれぞれに違うタモ、マホガニ、カリンなど9種類の材質から視聴を繰り返し、総合評価で天然無垢のチェリーを選んでいます。実は従来は綿を使っていた吸音材にもチェリーのチップを使ったのですが、このアイデアはヒノキのチップで畳床を作るテレビ番組からヒントを得ました。こうして「EX-A3」各部の材質を木で統一することで、さらに音質の向上を図りましたが、続く「EX-A3LTD(リミテッド)」モデルでは、また新たに木を使える部分を発見したのです。それが、ボイスコイルの筒の部分に使った薄さ80ミクロンの樺のシートと、アンプの天板に付けたウッドトッププレートです。それぞれの工夫で、吐息まで耳に届くほど音の解像度が向上し、共振を防いで透明感のあるピュアな音質を創り上げています。
音響技術というのは、実はとても奥が深いものです。また、音の世界は誰もが分かるはっきりとした水準が見えにくく、好みによっても評価が変化します。でも、私はだからこそ音の世界の面白さを感じるのです。スルメやテレビ番組から開発のヒントを得たように、発想の転換しだいでアイデアはどこにも潜んでいます。そういった可能性がある限り、「ウッドコーンスピーカー」が奏でる音の開発に終わりはありません。それは、今後も進化し続けていきます。