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 世界初のブラウン管テレビから続く道
高柳健次郎氏とテレビ、そしてハイビジョンの時代

高柳健次郎氏と日本のテレビ

世界初のブラウン管式テレビ
世界初の
ブラウン管式テレビ
日本ビクター久里浜研究所に一台のテレビがあります。世界初のブラウン管式テレビ受像器(復刻)です。
1926年(大正15年)12月、浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)助教授だった高柳健次郎氏が数年間に及ぶ研究の末に作り上げたものです。そのテレビの走査線数は40本。いろはの「イ」を映し出しました。
その後、高柳健次郎氏は、1940年(昭和15年)に開催が予定されていた東京オリンピックのテレビ中継実現のためにNHK技術研究所へ招かれます。

しかし、日中戦争への全面突入など国際情勢緊迫の中、東京オリンピックの開催は返上され、テレビ本放送計画も中止。高柳氏は海軍技師としてレーダーや電波兵器の研究に徴用されました。
テレビの研究そのものも禁止され、日本のテレビジョン開発は完全に止まってしまいます。
高柳健次郎氏
高柳健次郎氏
NTSCのスタート

戦後も、GHQ(占領軍総司令部)により、日本でのテレビ研究が禁止され、高柳氏にとっての苦難の時代が続きました。

そんな中、1946年(昭和21年)、高柳氏は、NHK技研時代に部下だった技術者20数名とともに日本ビクターに入社(その後、副社長、技術最高顧問などを歴任)。NHKや多くの電機メーカーと協力しながら、「日本のテレビ」実現への努力を続けます。
日本ビクター製テレビ(生産再開第1号)1953年発売 14TV-201 115,000円
日本ビクター製テレビ(生産再開第1号)
1953年発売 14TV-201
高柳氏らの努力の結果、1953年(昭和28)にはNHKがテレビの本放送開始。同年、民放第1号の日本テレビも放送を開始します。
今から五十年前、この時スタートした放送規格がアメリカ式の走査線525本のいわゆるNTSC方式(525規格)です。

NTSC方式は、カラー化や様々なテクノロジーによる高画質化を経て、今日までテレビ規格の主役となっています。
ハイビジョンへの過渡期の到来

1989年(平成1年)にNHKがBSハイビジョンの実験放送を開始。テレビの歴史は、NTSCからHDTV(High Definition Television=高精細テレビ・ハイビジョンテレビ)への過渡期へと突入しました。
2000年(平成12年)にはBSデジタル放送が開始され、民放各社もハイビジョン放送のスタートを切りました。ハイビジョン放送の総走査線数は1125本(有効走査線数は1080本)です。
そして、ハイビジョンを放送で楽しむだけでなく、誰もがハイビジョン映像を創ることを可能にしたのが、2003年3月のデジタルハイビジョンムービー・GR-HD1の登場でした。
GR-HD1
GR-HD1
デジタルハイビジョンムービーの登場が意味すること

NTSCの五十年に及ぶ歴史は否定することはできません。また、それが映像文化の貢献に大きく寄与してきたことも事実です。しかし、今、テレビとビデオの歴史が大きな過渡期を迎えていることも、また事実です。2003年の年末には地上波デジタル放送がスタートし、この流れは、さらに加速していくでしょう。

ハイビジョンの映像を「写真が動いているようだ」と表現する人もいます。そこには観る側も創る側も満足できる高精細・高画質があります。
そして遂に、アマチュアの手が届くところにハイビジョンカメラがやって来た!
デジタルハイビジョンムービー・HD1の登場です。この事実は、高柳健次郎氏の「イ」のテレビやNTSCでの放送開始に匹敵する大きな出来事なのかも知れません。


「テレビの父 高柳健次郎」(日本ビクターのサイト)
http://www.jvc-victor.co.jp/company/human/index.html
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