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ホーム > 技術情報 > 「テレビの父」高柳健次郎 > 高柳の功績と教訓

技術情報

「テレビの父」高柳健次郎

高柳の功績と教訓

1.研究は世の中のため、人の幸せのために

  • 高柳の発想の原点は、いつも「将来のためになるか、世の中のために役に立つか、人々の幸せにつながるか」であった。
  • 方法は、「何のために」 が先ずあり、すべてのエネルギーをその目標に向けて注ぎ込むやり方である。

    技術者が陥りがちな、技術開発それ自体を自己目的化したり、いたずらに他とスペックを競い合う不毛な先陣争いには目もくれなかった。

    まして自分の利益や名声はまったく眼中になかった。
  • 浜松高工でのテレビの研究開発では、自分のアイデアを惜しげもなくチーム研究に注ぎ込んだ。

    「テレビという、将来必ずや人々に幸せをもたらすであろう夢の機械を創り出す」 この明確なターゲットが、高柳とそのチームのメンバーの気持ちを一つにした。
  • 戦後、日本ビクターに入社後まもなく結成された「テレビジョン同好会」も、高柳が「テレビの技術を伸ばしていくためには、どうしても技術者が集まってお互いに研鑚に努めなければいけない」と、郵政省、学校、企業、NHKなどの研究機関にいるテレビ研究者に声をかけ30人位でスタートしたのだった。企業の枠を超えて、毎月1回会合を開き、情報交換して互いに切磋琢磨した。

    このグループは4年後(昭和25)には(社)日本テレビジョン学会に発展・改組され、またS.27年ころ、テレビの普及促進のために標準型の受像機を作ろうと、業界が一致できたのも、この「同好会」以来の共通の基盤があったからだった。
  • 理想を掲げ、その旗の下で産業発展に尽くすという姿勢は、VHSの開発と世界を舞台とする新しい映像文化の創造に命をかけた“ミスターVHS”のニックネームを持つ高野鎭雄氏に受け継がれ、花開いた。
  • 高柳の思想が、昨今の情報機器やディスクメディア等の分野での、「我こそは最高スピード」「ウチのが最大容量」云々の先陣争い、その結果としての短命な技術ライフサイクルなど、ともすればユーザー不在、目標不鮮明となりがちな技術開発競争の現状に、改めて警鐘を鳴らしているのではないだろうか。

2.「個の成長と、全体の成果」の両方を実現するプロジェクトチーム

  • 1930年(昭和 5)の「天覧」を機会に、浜松高工の高柳研究室は公式にテレビジョン研究施設に昇格、予算、人員などが増強され、念願の「チームによる研究」が可能になった。1934年(昭和9)の欧米視察以後1年余りをかけて撮像管を完成させたのは、テーマを絞り込んで共同研究に取り組んだ「高柳式プロジェクトチーム」の成果だった。
  • 高柳は著書『テレビ事始』のなかで、当時のことを次のように回顧している。

    「私たちは一週間おきに研究会議を開いて報告し、お互いに報告について遠慮なく意見を述べあい、次の段階へ向かって激励しあった。一人は信号板の光電微粒子の製法について画期的な発明をしてくれたし、またある者は、信号版を撮像管の中に封入するよい方法を考え出すなど、誰もがみな適切な改良を行った。

    私は一生を通じて、これほど充実した研究生活を送った時期はないと思う実際的な成果も大きかったが、多くの人たちと心を一つにして、しかも一人一人の能力を最大限に発揮するという雰囲気がおのずと作られていった、そのこと自体が貴重なことだったからである。」
  • 高柳の「全員が成長できるチーム研究」の方法は、「学者であれ発明家であれ、その人だけが卓越した知識を持ち、独占し、弟子たちはまったくの補助協力者として扱われて、重要なことは何ら教えられず、弟子自身が生み出した成果さえ先生のものとされてしまうといいう時代」(同書)にあって画期的であったというにとどまらない。

    現代の大学や企業の研究開発プロジェクトチームにありがちな、個々のメンバーを手駒として集め、研究システムの歯車や部品のように構成してテーマを追い込んでいく最近のやり方にも、是非を問うものと言えそうである。

3.自らの体験に報い、教育・人材育成に献身

  • 高柳は、子どもの頃劣等生だった自分が担任の先生から、「やればできる」ことを教わり勇気づけられたこと、大学の恩師に「目先にとらわれず、遠い先を見て将来の世の中に役立つ人間になれ」とアドバイスされたことを生涯の指針とした。自分の能力を生かすことができ、社会への貢献が第一という思想も、自分が受けた教えから形成されたと信じ、教育の偉大さを痛感していた。
  • プロジェクトチーム研究での、皆がやりがいを持って参加でき、その過程で一人一人が力を伸ばすことができることを重視した指導法も、人を育てることへの意欲の現れだった。
  • 日本ビクターでの功績も、カラーテレビの大幅改良はもとより、世界の標準ステレオ方式となった「45−45方式」や、4チャンネル「CD−4」システムなどオーディオ分野の技術開発、VTRの基礎技術から「VHS」開発へと、研究開発部門のリーダーとしてプロジェクトチームを指揮、人材の育成と事業化を先導した。日本ビクターが、世界市場が認めるオリジナル志向の技術開発型企業へと発展してきたのには、この高柳の貢献に負うところ大である。

《高柳の研究開発指導方針》

1)先見性: 10年先・20年先の求められるテーマを見定める先見性を持て。

2)ひたむきに: 目標を定めたら、亀のように粘り強く、休むことなくひたむきに努力せよ。

3)集団討議 : 一人の天才によって科学技が進歩する時代は終わった。集団討議によるステップ・バイ・ステップの研究にこそ大きな成果が期待できる。

4)皆で一緒に向上: 研究成果は個人のレベルに止めず知らせ合い、皆で一緒に向上しよう。

5)専門外にも取組め: 自分の課題に関わることは専門外のことであっても自分で取り組んでみる姿勢を持て。複合化の時代には関連分野についての知識が大切になり、自分の専門分野の研究を進めるためにも有効だ。

6)創意・自主性尊重: 個人の創意や自主性を大切にせよ。研究に立場の上下はない。若い研究者の自発的な意思で研究を進めた方が、必ず大きい成果を得られる。

  • 高柳の後進育成への熱意は、浜松電子工学奨励会、(財)高柳記念電子科学技術振興財団といった、私財を基金とした研究助成のほか、(社)日本テレビジョン学会、日本ビクター技術報告大会での「高柳賞」制度として今も受け継がれている。(上記すべての会、団体に「高柳賞」がある。)

    高柳記念財団設立では、「現在は世間に認められていなくても、将来を目指して頑張っている芽をつぶさないで、応援したい」という高柳の発案で研究助成のプログラムが作られた。