《Plays the air.》、今年はこの一作が突出している。否、今年を越えて、この二十分の小さなヴィデオ作品は、明日のすぐれた映像による表現世界を、確実に手操り寄せている。そしてそれはまた、今年のフェスティバルの大きな特色でもあった。作者は二十三才の女性。もしこの人が将来もこうした作品作りを続けていかれるなら、内田セイコの名は間違い無く、未来の映像世界を代表する一人として記憶されていく子とになるだろう。我我は一つの才能と出合った。祝、TVFである。祝、ヴィデオである。
今年は不思議な、面白い出来事が色色あった。春には福井県のある中学校の生徒二百人余りが、修学旅行で上京し、一夜ぼくのヴィデオ作品作りについての講義を聞くという。修学旅行といえば枕投げだろう、と考えるのは過去の話らしい。昼、東京着。お台場見学を了えてホテルに入ると、入浴・食事。それからぼくの講義が一時間半。それで持つのかという心配を他所に、皆熱心で瞳はらんらん。続く質疑応答は二時間にも及んだ。聞けばこの中学では作文や図工同様、生徒が全員グループに分かれてヴィデオ制作。互いの自己表現が良き対話となって落ちこぼれる子もいなく、明るく元気溌剌。旅行の翌日は東京大学の学生とヴィデオ作品交換会。浅草を見学して帰省というスケジュール。
つい先日はぼくが務める大学で全国高校生ヴィデオフェスティバルを開催したが、この応募作品がまた凄い。かつての様に、将来映像の世界に進もうという子供たちではなく、また映像を趣味とするのでもなく、まるで日記か日常のリポートの様にヴィデオ作品を作る。今回の高校生作品《漢字テストのふしぎ》もそうだが、つまりそれはヴィデオによるオンリーワンのジャーナリズムであり、彼等が個人的対話の魅力を活かすことでこの日本の情報社会の欠落部分を、補って余りある豊かさ。それが嬉しくて現在、ぼくは三つの大学で教鞭を採っているが、今回の《Plays the air.》のような作品は、ほんの少し突出してはいるが、最早彼等の創作のレベルを成しているのである。
TVFはそういう時代を受けて、内田セイコを選んだ。そうしてその反面、永い間の常連、池田稔の《下駄 靴 草履》を外した。池田さんのこの作品はTVF二十九年の歴史が生み出し得た、もう一つの傑作である。同じく常連佐藤均さんと共に、その名はまたTVF史に、この遺産として深く刻まれることであろう。そしてTVFのシムボルでもあったジョン・アルパートの名と作品も、今回は外されることで意味を持った。それが《Plays the air.》今年の、新しい存在理由であり、永い伝統が生み出した優れた文学作品にも喩えられる、大きな成果でもある。
何かに取り憑かれたように作品を見ていた。最終審査会までの10日間に集中して、最後の判断をしようと思っていたからだ。しかし、例年と様子が違ったのは、見終わった後に言葉を失ったことだ。結果的に僕は、特に推薦したいビデオ大賞の候補を選出することが出来なかった。言うまでもなく作品がダメだったからではない。どれかの作品を推すことが、ひどく後ろめたい気がしていた。
まずは短編ドラマの水準の高さに驚いた。『Passenger』や『Three Novice』『お願い。誰か』のゆったりとした映画的な時間が嬉しかった。エントリー作品の後半では、中国のドキュメンタリーと韓国のドラマが次々と現れ、それぞれの時流の現在を映像で掴むことが出来た。ドキュメンタリーも相変わらず力強い。『Fear no evil』の着眼点が、イスラム問題の側面をえぐっているように思う。16歳の彼らにもう少し希望があっても良いではないか。『学校を辞めます』は教師として他人事ではない。教育基本法の改正へと続く一連の教員バッシングは、恐らくこうした現場教師の良心を奪っていったのだ。『Baghdad ER』で現れる現実をアメリカ政府に正当化して欲しい。政治家は失脚して野球でも見ていればいいが、死ぬのは常に若い兵士なのだ。しかし、このビデオを見るアメリカ人が加速してイラク人を憎悪する可能性も高い。『帰還日』は政治の無策が最悪の結果を残した証拠だ。最後に希望を失う場面を見るのは辛い。ドキュメンタリーに描かれた人物に心を動かされる時、映像作品の出来ばえを第一の問題にすることが難しい。例えば『いのち輝く時〜』や『梅香』を見ると音楽の存在が憎らしいとさえ思う。どうして現場音だけで構成してくれないのか?と。しかしそのことは描かれた人物とは無縁なのだ。だからこそ、映像の制作者には大きな責任がある。
『空飛ぶ円盤と私の友達』や『新しい理論』のような作品ばかり見ていられたらどんなに幸せだろうと思う。『家族』『The Baby-trees』『Black no sugar』が示した1分間の可能性と作者の若さも見逃せない。今年もまた新しい作者に出会うことが出来た。僅かな希望は次の予感と共に、いつも作者が届けてくれる。
毎年、選考に戸惑う。優秀作品賞を逸したあれこれの作品について、どうして選に洩れたのか、と詰問されたら立ち往生せざるをえないだろう。それほど意義深く、多くの人に見てもらいたい、活用してもらいたい佳作が多い。たとえば「共働き」など。海外から応募してくる国も増えて、中国の「梅香」「最後の水」のように、個人規模の優れた映像記録が世界に拡がりつつあることが嬉しい。「カイツブリ」「どぶねずみ」「くねの木エレジー」的な作品が海外から寄せられることも期待したい。
ビデオ大賞の三本はいずれも、撮り方の新鮮さが高い評価の要因になったと思う。昨年の「羽包む」にも似て、作者と対象との間で心を許した関係があってはじめて引き出せた面白さであり、こわさだ。「漢字テストのふしぎ」については講評にゆずるが、「先生、IT時代の漢字テスト、考えてください」という切実な声に応え、教育界は具体的解決を図るべきだと思う。「Plays the air.」はカメラを感じさせない日常記録のように若い女性が撮れているところがすごい。ただ、共感はしにくかった。「Fear no Evil」もまた、日常の中で自然に本音を語らせ、16歳のムスリムたちの追いつめられた心情を捉えて深刻。
アニメーション。「有機都市」は不思議な光景としての面白さ。人間が普通に暮らしている片隅でこういうことをやろうとすれば、面白い物語が紡ぎ出せるかも。「いずこ」はとくに主人公の顔の表現に感心。お話もよく、簡素な表現で多くを語れることを示した。「ミミズ」は専門家の仕事。ただの擬人物語ではなく、ミミズの父子ならばこうもあろうかというリアリティがあった。「自転車日記」の絵も使い方も新鮮。佳作の「疲れた町」「何処かに」の表現水準も高い。