イタリアで決勝大会が開催された1980年大会から現在に至るまで、UEFA EUROのトップパートナーを務め続けている日本ビクター。ここでは、拡大と繁栄の道を歩むUEFA EUROと、それをサポートし続ける日本ビクターの歩みを、大会別に振り返っていく。
第6回大会を迎えたUEFA EURO(ヨーロッパ選手権)は、本大会のレギュレーションが変更されて開催国の予選免除が導入されるなど、現行レギュレーションの基礎が出来上がった大会だった。当時のヨーロッパサッカー界は、代表レベルでもクラブレベルでも国際交流が盛んになり、テレビ中継の効果もあって、UEFA EUROもイベントとして国際的に注目を浴び始めていた時期にあたる。
そんな中、日本企業としてこのビッグイベントをサポートすることになったのが、当時ブランドの世界戦略を行っていた日本ビクターだ。1976年に世界初のVHS方式による家庭用ビデオ「HR-3300」を開発した日本ビクターは、UEFA EUROという国際的ビッグイベントに参加することにより、ブランド戦略の成功を掴み始めたのだった。
1984年に行われた第7回大会は、開催国のフランスが、プラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデズら黄金の中盤が大活躍し、見事に地元優勝を果たしたことで知られる大会である。そしてこの大会が行われた時期は、1982年に行われたFIFAワールドカップ・スペイン大会の大成功が起爆剤となり、サッカーというスポーツが商業化の道を歩み始めた、まさしく右肩上がりの繁栄期にあたる。
当然ながらUEFA EUROの国際的認知度も急上昇し、前回大会に引き続き大会をサポートした日本ビクターも、そのブランド世界戦略の認知度向上を図ることに成功している。また、1984年当時には世界最小・最軽量VHSビデオムービー「GR-C1」を発売し、コンパクトなテープ「VHS-C」を世の中に浸透させ、ビデオカメラの世界でも新時代の到来を予感させた。
西ドイツで開催された第8回大会は、当時の強豪が集結したこともあって熾烈な戦いが続き、異常な盛り上がりをみせた。開催国の西ドイツは準決勝で敗れたが、フリット、ファン・バステン、ライカールト、クーマンといった世界的スター選手が揃ったオランダとソ連による決勝戦の模様は、テレビ中継を通してヨーロッパをはじめとする世界各地で観戦され、優勝国オランダのサッカーが世界を魅了した試合となった。
ヨーロッパサッカーが世界のサッカーに強い影響を与える時代に突入した当時、UEFA EUROのブランド化が一気に加速し、同時にそれをサポートする日本ビクターもブランドの認知度向上という段階から、ブランドイメージの向上という次なる段階に突入。商品開発でも1987年に発売したS-VHS第1号機「HR-S7000」が順調に世の中に浸透し、1988年にはその欧州規格も発表している。
90年代に突入すると、商業ベースでも着々と成長したUEFA EUROの注目度も一段とアップした。しかしながら、旧ソ連の崩壊など東ヨーロッパ社会を中心にヨーロッパの地図が書き換えられた影響もあり、ヨーロッパサッカー界も新時代が到来。その象徴となるのが、スウェーデンで開催された第9回大会だった。予選を突破して本大会に参加するはずだった旧ユーゴスラビアが内戦状態となったため、UEFAは国際大会からの追放を決定。その代わりに出場したデンマークが優勝を果たすという珍しい大会となったのである。
一方、1992年大会でもトップパートナーとして参加した日本ビクターは戦略的なブランドイメージ向上を継続。また同年には Home シアターなど大画面・高画質に対応したS-VHS HiFiビデオ「HR-20000」を、翌1993年には世界初となるポケットサイズ・デジタルビデオカメラ「GR-DV1」などの新商品を発売している。