教育

作品概要
72年ごとに行われる伝統の神社祭礼で神輿の台座にするエノキを主人公としたドキュメント。戦争も周辺のできごとも72年間生き抜いて大木となったエノキにはすべてが解っている。大エノキの心情を独特の茨城弁で、見事に語ってくれる作品。

「恥ずかしかった方言がエノキの思いを伝えてくれました」

――最初から作品づくりを念頭において撮影されたのでしょうか?
はじめは記録として残そうと思っていて、作品にすることは考えていませんでした。72年に一度の祭りで見たこともないし珍しいからと、ビデオクラブの仲間と相談して、エノキのすぐ近くに住む私が中心になって撮ることになったんです。この祭りは神輿の歩く距離が往復約70kmあり、二つの神社から神輿が日をずらして出発するので、あわせて10日間の日程。作品にするには大きすぎると思いました。

――いつ頃から作品にしようと思ったのですか?

台座として切られている姿を見ているうちに「エノキにもいろいろな思いがあるだろうな」と感じて、祭りの後、次のエノキを植える植樹式まで撮影することにしました。ファインダーを通して見ているうちに、エノキの気持ちがどんどん自分のなかに入ってきましてね。植樹式の前に、エノキの場所を移動させるシーンがありますが、なかなか根っこが掘り起こせない。「エノキが抵抗しているのかな」と感じたり。そうした思いが作品づくりにつながりました。

――作品では、エノキが語る茨城弁のナレーションがとても効果的ですね

エノキを語る場合、どう説明しようか考えました。標準語での普通のナレーションでは口ごもってうまくいかないし、感情も伝わらない。それなら自分がエノキになって、恥ずかしいけれど思い切って地元の言葉でやってみたんです。それがよかったと思います。

――お祭り当日の撮影は大変だったのでは?

人出がすごくて、いったん三脚を立てたらもう動けない状況でした。幸い妻もビデオを撮るので、私の反対側にまわって撮ってもらったりしました。一度きりしか撮れないという緊張感はありましたね。ただ、神輿は二度通るので、はじめの行列がいい”下見“になりました。田楽舞のシーンは最初、人垣にさえぎられて失敗したんです。そこで次は夜明け前から場所取り。撮影まで3時間待ちました。

――作品づくりで苦労した点はどこですか?

やはりナレーションですね。エノキの気持ちをどう伝えるか。それと、土地の歴史にはあまり詳しくないんです。水の少ない土地だったとか、エノキは水が少なくても育つ木などということは、祭りのときに聞いたり、後で調べて知りました。

――作品について、周囲の反応はいかがでしたか?

ビデオ仲間からは、祭りの説明が長すぎると言われました。でも、祭りあってのエノキですし、何も知らない人が見るときのことを考えて、祭りのシーンはある程度時間をさきました。

――作品をつくり終えて感じたことなどはありますか?

次にまた祭りをするときに自分の映像が残っていて、「72年前はこういうことをやったんだ」と見てもらえたらな、と思っています。
「イテッ!マサカリで倒すのかよ」エノキの語りによって作品がすすんでいく。
神輿の”お休み場“となるため切られたエノキ。祭り当日を待つ。
72年に一度の大祭礼。千年以上の歴史を持つ。
神輿の行列は、神社と浜を7日間かけて往復する。その距離75km。100万人もの見物客がつめかける伝統行事だ。
祭りの後、今は歩道となってしまった場所から移動することに。なかなか掘り起こせない。
切り株の上に次のエノキを植え、植樹式も終了。「これでオラも安心して寝れんな」
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